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私たちの中には本来そなわっている力があります

備わる力

フォーカシングセラピーをつくったユージン・ジェンドリンは、私たちの本質(生命そして生きるということ)は、前に向かって進んでいくプロセスそのものであり、私たちはそこを信頼すればよくて、それが生きることだと言っています。

例えば、軽い切り傷をおったときに、一晩ばんそうこうを貼っておけば自然に傷はふさがってくれます。傷の内部では、切れた毛細血管どうしがつながったり、複雑なことがいろいろ起きているわけですが、私たちがそこに注意を向けなくても、傷は勝手に治ってくれます。それが生であり、そのプロセスへの信頼があればいいと。

心も同じで、これが常に起きています。私たちには本来行きたい方向があって、そこへ向かう力をもっていて、それはいつも起きています。しかしそこを妨げるものがあるというんですね。それが考えや先入観、信じ込みというやつです。意識的であれ、無意識的であれ、私たちの多くは常にああでもない、こうでもないと頭の中でおしゃべりをしています。

例えば、何かにチャレンジしている人が、自分で認識できない心の深いところで「どうせ自分はうまく行くはずがないし」と思い込んでいる場合、その無意識にある巨大な毛糸玉のほうが実現してしまって、ちぐはぐな行動になっていることがあります。

セッションでは、その人の中にどんな思いがあるのか最初はわかりませんから、問いかけをしながら、深いところに潜んでいる思いと感情に働きかけていきます。その人がもともと持っている力を伸び伸びと発揮できるように。

現象学の方法を使ってセッションをします

私が住んでいるこの世界(客観的な世界)は、私とは関係なく存在している。つまり、私が生まれるずっと前からあって、死んだ後も存在し続けるだろう。このような世界観を私たちの多くは当たり前のこととして持っています。これに対して現象学は、本当にそうなのか見てみましょうと問いかけます。

現象学のこのような考えが生まれた背景の一つに、科学万能主義に対する懐疑があります。科学の発展のおかげで現代人の生活はまちがいなく豊かで便利なものになりました。その一方で、化学兵器による戦争や遺伝子操作、環境破壊など、私たちが望まない方向にも科学は利用されています。

軽くなる女の子

何が正しくて、何がそうでないのか。私たちが住む世界はどうあるのが一番いいだろうか。これを知るために何も前提することなく、たとえば信用できる誰かが言ったから信じるのではなく、自らの直接経験で確かめなければならない。

現象学には「事象そのものへ」というスローガンがありますが、まさに自分のこと、自分たちのことを直接知るための方法がそこにはあります。

ふだんとても気づきにくい感情を解放するセラピーです

意識の体験

知らず知らずのうちに自分にとってあたりまえ(本当のこと、事実)になってしまっていることが、もしかすると自分を苦しめているかもしれないとき、そのあたりまえは本当に正しいのだろうか。セッションでは、これに対する判断をすぐにしないで(しばらく脇において)問かけをすることで、意識の体験をしていきます。

自分のことだからこそ「わかる」― そういう体験です。そこにある感情を癒やすことで解放が起き、「私はこんなことを思っていたんだ」という気づきが生まれ、自己了解(自分に対する新しい理解)への扉が開きます。

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